健康格差の現状分析とその生成プロセス
健康格差の現状について
日本においても所得,学歴などの社会経済的状況や,雇用形態・業種といった労働環境によって,健康行動や健康状態が異なるという研究結果の蓄積が進んでいる.例えば高齢者では所得が低いほど,その後の死亡や要介護認定が生じやすいことが明らかになっている
▼ 引用文献
近藤克則,芦田登代,平井寛,他.高齢者における所得・教育年数別の死亡・要介護認定率とその性差―AGESプロジェクト縦断研究―.医療と社会.2012;22(1):19-30.
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災害や危機時には,日常的に周縁化され社会的に排除されている集団がさらに大きな被害を受け,より困難な状況に陥り,健康への悪影響が生じることが分かっている
▼ 引用文献
Collins TW, Jimenez AM, Grineski SE. Hispanic Health Disparities After a Flood Disaster: Results of a Population Based Survey of Individuals Experiencing Home Site D amage in El Paso (Texas, USA). J Immigr Minor Heal. Springer US; 2013 Apr 21;15(2):415-26.
.自然災害の多い本邦においては今後も自然災害による健康被害が避けられない.経済危機等の社会的な危機時にも健康格差が拡大することが知られている
▼ 引用文献
Fukuda H, Nakao Y, Yahata Y, et al. Are health inequalities increasing in Japan? The trends of 1955 to 2000. Artic Biosci Trends. 2007;1(1):38-42.
.2020年以降は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行により健康格差が拡大していることが指摘され,例えば2020年4,5月の緊急事態宣言前後で無職や非正規雇用の者が増え,その者たちでうつ症状を自覚する者の割合が高かったという報告がある
▼ 引用文献
リンクアンドコミュニケーション.「新型コロナウイルス流行下での生活習慣の変化」第4弾調査.[not revised; cited 22 Feb 2022] Available from: https://www.linkncom.co.jp/news/press/339/
.一方,その期間に在宅勤務を始めた者ではうつ症状が悪化した者の割合は少なかった
▼ 引用文献
Sato K, Sakata R, Murayama C, et al. Changes in work and life patterns associated with depressive symptoms during the COVID-19 pandemic: an observational study of health app (CALO mama) users. Occup Environ Med. 2021 Sep;78(9):632-637. doi: 10.1136/oemed-2020-106945. Epub 2021 Feb 22.
そのため,災害や危機時における体系だったSDHへの対応が求められる.
社会的要因が健康に与えるこのような影響は「勾配」を形成することが分かっている.また,経済危機後に管理職の自殺率が高まるなど
▼ 引用文献
Wada K, Kondo N, Gilmour S, et al. Trends in cause specific mortality across occupations in Japanese men of working age during period of economic stagnation, 1980-2005: retrospective cohort study. BMJ. 2012 Mar 6;344:e1191. doi: 10.1136/bmj.e1191.
,通常は社会的に高い階層と考えられる集団が,健康上のリスクによりさらされる場合もある.つまり,最も社会階層の低い人だけにリスクが集積しているのではなく,すべての階層に属する人の健康が社会的影響にさらされている
▼ 引用文献
Wada K, Kondo N, Gilmour S, et al. Trends in cause specific mortality across occupations in Japanese men of working age during period of economic stagnation, 1980-2005: retrospective cohort study. BMJ. 2012 Mar 6;344:e1191. doi: 10.1136/bmj.e1191.
▼ 引用文献
厚生労働省.平成26年国民健康・栄養調査報告.東京:厚生労働省.[not revised; cited 22 Feb 2022] Available from: https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou/dl/h26-houkoku.pdf
▼ 引用文献
松田亮三,平井寛,近藤克則,他.「健康の不平等」研究会:高齢者の保健行動と転倒歴―社会経済的地位との相関.公衆衛生.2005;69(3):231-235.
(図2, 3).そのため,社会的に不利な立場にいる人々に焦点を当てるのみならず,課題に応じて,すべての社会構成員を対象とした健康格差対策も同時に必要である.
健康格差生成のプロセス
健康格差が生み出されるプロセスについては,胎児期から一生涯にわたる期間(ライフコース)の視点をはじめとする,SDHについての構造的な理解が必要である.
ライフコース
- ライフコース
- 「胎児期,幼少期,思春期,青年期およびその後の成人期における物理的・社会的曝露による疾病リスク」を長期的に捉えるものである.
健康格差は,その人のライフコースにわたる要因の蓄積の結果として生じている
▼ 引用文献
近藤克則.ライフコースアプローチ--足が長いとガンで死ぬ?.保健師ジャーナル.2006;62(11):946-952.
(図4).たとえば,出生した家庭の社会経済的地位によって,子ども期に受けられる教育水準に差が生まれ,それが子ども期の生活習慣などの違い等を通じて,成人期や高齢期の健康格差を生み出すという経路が考えられる.子ども期の生活水準の低さや逆境体験を経験することが,成長後の不健康な行動に関連することも明らかになっている
▼ 引用文献
Tsuboya T, Aida J, Kawachi I, et al. Early life-course socioeconomic position, adult work-related factors and oral health disparities: cross-sectional analysis of the J-SHINE study. BMJ Open. BMJ Publishing Group; 2014 Oct 3;4(10):e005701.
▼ 引用文献
Felitti VJ, Anda RF, Nordenberg D, et al. Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study. Am J Prev Med. 1998 May;14(4):245–58.
.さらに,子ども期の生活水準が低かった者ではうつ症状の新規発生が1.3倍多く
▼ 引用文献
Tani Y, Fujiwara T, Kondo N, et al. Childhood Socioeconomic Status and Onset of Depression among Japanese Older Adults: The JAGES Prospective Cohort Study. Am J Geriatr Psychiatry. 2016;24(9):717-726.
,子ども時代に虐待を受けた者では高齢期の歯の数が少ないこと
▼ 引用文献
Matsuyama Y, Fujiwara T, Aida J, et al. Experience of childhood abuse and later number of remaining teeth in older Japanese: a life course study from Japan Gerontological Evaluation Study project. Community Dent Oral Epidemiol. 2016 Dec;44(6):531-539.
や大人になってからの幸福感や健康感が低いこと
▼ 引用文献
Oshio T, Umeda M, Kawakami N. Childhood Adversity and Adulthood Subjective Well-Being: Evidence from Japan. J Happiness Stud. Springer Netherlands; 2013 Jun;20;14(3):843-60. doi: 10.1007/s10902-012-9358-y.
などが明らかとなっている.
健康の社会的決定要因の構造的な理解
図1で示したように,人の健康には個人の要因だけでなく社会的な要因も関連しており,それらは相互的・多層的に関わり合っている.そのため,ミクロ・メゾ・マクロの3つのレベルに分けるとSDHの理解に役立つ
▼ ミクロ・メゾ・マクロの分類法について
ミクロ.メゾ,マクロの分類法には様々なものが考えられるが,ここではプライマリ・ケアの日々の実践の中で,プライマリ・ケアの実践者・多職種の一員として関わり介入可能な地域や集団をメゾレベルと定義した.
▼ 引用文献
近藤克則.健康格差社会への処方箋.医学書院.2017.
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①ミクロ(個人や家族)レベルでの要因
- ジェンダー(gender)
- 生物学的・解剖学的な性別を英語ではsexという.一方,ジェンダーは,ある社会や文化において,特定の役割や相応しいと考えられている行動や考え方を伴って表現される性別を指す.自分の属する社会で,男らしいあるいは女らしい振る舞いや考え方が自分にとって当然のこととして感じられ行動するときに,その人の性(ジェンダー)の自己意識は男性または女性となる.そうした性自認をジェンダー・アイデンティティ(gender identity)という.
性別や年齢,個人の生活習慣,社会経済的地位(教育,職業,収入など),ジェンダー,家庭などがある.例えば職業階層や労働環境と健康の関連については,性別,管理職・非管理職,ホワイトカラー・ブルーカラーによって脳卒中の発症率がそれぞれ異なっている
▼ 引用文献
Tsutsumi A, Kayaba K, Ishikawa S. Impact of occupational stress on stroke across occupational classes and genders. Soc Sci Med. 2011 May;72(10):1652-8. doi: 10.1016/j.socscimed.2011.03.026. Epub 2011 Apr 5.
.非正規雇用者では心理的ストレスを感じる割合が高い
▼ 引用文献
Inoue A, Kawakami N, Tsuchiya M et al. Association of Occupation, Employment Contract, and Company Size with Mental Health in a National Representative Sample of Employees in Japan. J Occup Health 2010;52:227-40.
.ジェンダーと健康については,日本の女性は家庭と仕事の葛藤が大きく,精神的健康が低く,他国に比べて男女差が大きいことがわかっている
▼ 引用文献
Chandola T, Martikainen P, Bartley M, et al. Does conflict between home and work explain the effect of multiple roles on mental health? A comparative study of Finland, Japan, and the UK. Int J Epidemiol. Oxford University Press; 2004 Aug;33(4):884-93. doi: 10.1093/ije/dyh155. Epub 2004 May 27.
.さらにLGBTQ(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Questioning)と呼ばれる特定の性的指向・性自認(SOGI: Sexual Orientation Gender Identity)を有する人は,肥満・うつ・不安障害・自殺企図割合が高く,医療機関で不快な経験をすることが多く,4割前後の方が体調不良であっても受診をためらっているなど,健康や医療サービスの利用の点で多様な困難を抱えていることが分かっている
▼ 引用文献
King M, Semlyen J, Tai SS, et al. A systematic review of mental disorder, suicide, and deliberate self harm in lesbian, gay and bisexual people. BMC Psychiatry. 2008;8(70). doi:10.1186/1471-244X-8-70.
▼ 引用文献
浅沼智也,他.GID/トランスジェンダーの医療機関に関するアンケート調査結果.GID学会 第21回研究大会・総会プログラム・抄録集.2019;43.
.家庭と健康についても密接な関係が知られ,家庭内のサポートがないことや配偶者が亡くなることは死亡率を上昇させ,また,心筋梗塞後の回復因子として妻への情報提供が有効であることが報告されている
▼ 引用文献
Doherty WJ, Campbell TL. Families and health. Newbury Park, CA: Sage Publications, 1988.
.一方、家族の存在がかえってマイナスに作用する場合があることも認識し,自覚的に観察し対応することが求められる.
②メゾ(集団や地域)レベルでの環境要因
職場や学校環境,建造環境,ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)などがある.建造環境とは,人が作り出したあるいは手を加えた空間や建物,構造物を指す
▼ 引用文献
Schule SA, Bolte G. Interactive and Independent Associations between the Socioeconomic and Objective Built Environment on the Neighbourhood Level and Individual Health: A Syst ematic Review of Multilevel Studies. Plos One 2015; 10(4). doi:10.1371/journal.pone.0123456.
.例えば日本でも,運動に適した公園や緑地から1km以内に住む高齢者では運動頻度が2割多いこと,歯科へのアクセスがよい地域に暮らしている高齢女性にはかかりつけ歯科医がいる確率が高いことなどが報告されている
▼ 引用文献
近藤克則.健康格差社会への処方箋.医学書院.2017.
.ソーシャル・キャピタルは社会関係の資源的側面を表す概念であり,Kawachiらは「ネットワークやグループの一員である結果として個人がアクセスできる資源」と定義している
▼ 引用文献
Berkman LF, Kawachi I, Glymour MM. Social Epidemiology. Second Edi. Oxford University Press; 2014.
.ソーシャル・キャピタルが豊かな地域では,住民の精神疾患の有病割合や死亡率が低いことが示され
▼ 引用文献
Ehsan AM, De Silva MJ. Social capital and common mental disorder: a systematic review. J Epidemiol Community Health. 2015;69(10):1021-8.
▼ 引用文献
Aida J, Kondo K, Hirai H, et al. Assessing the association between all-cause mortality and multiple aspects of individual social capital among the older Japanese. BMC Public Health. BioMed Central; 2011 Jun 25;11:499.
,さらにソーシャル・キャピタルが災害による健康被害を緩和する効果を持つ可能性も報告されている
▼ 引用文献
Aldrich DP, Sawada Y. The physical and social determinants of mortality in the 3.11 tsunami. Soc Sci Med. 2015 Jan;124:66-75.
.また社会経済的地位による健康状態への影響はソーシャル・キャピタルにより緩和される可能性が示唆され
▼ 引用文献
Addae EA. The mediating role of social capital in the relationship between socioeconomic status and adolescent wellbeing: evidence from Ghana. BMC Public Health. 2020 Jan 7;20(1):20. doi: 10.1186/s12889-019-8142-x.
,一層の注目が集まる.一方,ソーシャル・キャピタルにはネガティブな側面があることにも注意が必要である.互酬性の規範を生みだすなかで,ある種の同調圧力が生じたり,別の集団に対する排他性が強まる可能性がある
▼ 引用文献
Portes, Anton. Social capital: Its origins and applications in modern sociology. Annual review of sociology 1998;24(1):1-24.
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③マクロ(社会:市・都道府県・国)レベルでの構造的・制度的要因
経済政策や社会政策,公共政策といった社会政治的背景や文化がある.例えばタバコ代(税金)が北欧並みに1箱1000円に引き上げられたらという質問に対し,ニコチン依存度が高い人ですら9割の人が禁煙を考えると回答し,2010年に300円から410円に引き上げられた前後で,タバコ販売量は5.2%減少した
▼ 引用文献
近藤克則.健康格差社会への処方箋.医学書院.2017.
.マクロレベルの要因が職場での喫煙者割合(メゾレベル)や個人の行動(ミクロレベル)に影響を及ぼし,健康を左右している.